先日、退職前の最後の出勤を終えて有給消化に突入しました。
この記事では、入社して新人の頃から退職までの心境の変化を振り返ってます。
じぶん年表として年齢と勤続年数ごとにまとめてあって、当時の心境と今だからわかることを比較しました。
まだ入社して間もない人や、辛くて辞めようか悩んでいる人は先々の参考になると思います。
この記事を書いている私は、高校卒業後、新卒で一部上場企業に入社し現場で13年間勤務。
現在は世界一周するための準備中です。
新人から退職まで13年間の心境の変化
1年目 19歳 入社と同時に企業の訓練校に入学。
1年間研修として寮に入り、現場で必要な資格と取得と教育を受ける。
初めて親元を離れての寮生活。
とにかく早く地元に帰りたかった。
訓練校は軍隊の真似事見たいなことをやらされた。
当時はキツかったけど、社会は厳しいからこれは必要な試練なんだと思って素直に受け入れていた。
今思えば企業戦士として戦うための洗脳の場所ですよね。
一年が終わる頃には同期との友情が芽生えて楽しくなってて、もう少しこの生活が続いてもいいかなって思うようになってた。
訓練校は成績に応じて希望する配属先が選べるシステムだった。
これから一生働く職場が決まると思ってたから、訓練校では結構頑張った。
おかげで第一希望の職場に配属。
2年目 20歳 現場配属
これからやっと仕事ができるとワクワクしてたけど、初日の見学中に
「あれ?なんかあんまり面白そうじゃないな」
という感想というか違和感みたいなものを感じた。
いやゆる「なんか違う」ってやつですね。
それでもこれから一生勤める職場だし、何かいいところを探そうとした。
というより面白い仕事だと思い込もうとした。
いざ仕事を始めると覚えることが山ほどあって、かなり特殊な内容なのでちんぷんかんぷん。
全然仕事ができるようにならなくって毎日ミスしてめちゃめちゃ辛かった。
先輩や上司からも圧力かけられるし、なんで他の人はできてるのに自分はできないんだろうと悩んで毎日辞めたいと思ってた。
一人で泣いた日もあった。
そんな感じっだったからうまく職場に溶け込めず、人間関係はめっちゃ苦労しましたね。
学生時代きちんと部活とかしてなくて上下関係を経験してなかったから、歳上の人と何をどう話していいかわからなかったから、話しかけてもらっても「はい」「いや」「そうですね」の3語しか言えなかった。
そりゃ可愛げのない後輩で仕事もできなければ先輩方もイライラするわ。
今だからわかるけど、当時の先輩は教えるがかなり下手だったし、教えるというよりも怒ってるだけだった。
多分当時この先輩達もよく理解してないで仕事してたんだと思う。
自分も確かにミスは多かったけど、新人ならやって当然のミスもあったし細かいことで自分を責めすぎてた。
仕組み上ミスが起こりやすい状態だったし当時は全部ミスした人の責任で改善する風潮もなかった。
でもこのおかげで、自分が人に教える時はこう言おうとか仕組みの問題点洗い出したり、後輩への目の配り方とかに意識が向くようになった。
3年目 21歳 仕事ができるようになった気がした
配属から2年ほど経過して通常業務を一通りこなせるようになった。
なんとなく自信がついて少し余裕が出てきた感じ。
と言っても専門的な知識は全然ないし、まだ何もひとりで判断できるレベルじゃなかった。
ほんとの初心者から抜け出した程度。
プライベートでもよく飲みに出かけるようになって、夜の街に出かけるようになたことで大人になった気がしてかなり調子に乗ってたと思う。
無敵だと思ってた。
いわゆる若さゆえってやつですね。
世の中の事をなんにも知らないし、自分の目線でしか物事を見てないから色々なところでかなり失礼なことをしてた。
思い返せば色々なところで怒られてたし、怒らせてた。
よく無事でいられたと思う。
4年目 22歳 担当変更
担当の設備が変わった。
新しいこと始めたらこれまたポンコツっぷりを発揮する。
見た目は似たような設備でやることでやることはそんなに変わらなかったので、業務自体はすぐに覚えられた。
でも細かい部分は少しずつ違うから、小さなミスを連発。
また落ち込んだ。
作業はあまり変わらなかったけど、設備の構造は全然違ったから理屈の部分は全然理解できなかった。
何回説明してもらってもいまいちピンとこなかった。
よくわからないまま1年で元の設備に担当が戻ってしまった。
5〜7年目 23〜25歳 仕事内容の理解がかなり深まった
元の担当に戻ったので、かなり余裕だった。
中途採用の人とか、協力会社から出向してくる人たちに仕事を教えることが増えた。
特に命じられたわけじゃないけど、率先して教えるようにしてた。
自分がちゃんと教えてもらえなくて苦労した経験があったから。
自分が教えてもらった時は理屈の部分とかすっ飛ばしてとにかく作業の内容しか言われなかったので、全然覚えられなかったから、なんで、どうしてっていう部分をかなり噛み砕いて説明したり、専門的な用語もでてくるたびに解説した。
まぁ現場の作業なんて理屈を知らなくてもできるし、かなり特殊なことなのでなんとなく理解してる程度じゃ言葉にするのは難しいから説明されなかったというよりできなかったっていうのも今ならわかる。
でも自分は理屈がわからないと全然頭な入ってこなかったので、納得できるまでずっと考えてた。
理解できてきてからは、自分が教えるときはどうやって伝えるかってこともずっと考えてた。
どこが理解しにくいのかとか、どこでつまづくのかとかも気にしてた。
教えた人からはわかりやすいと褒めてもらって嬉しかった。
教えることで自分の理解も深まって好循環になったと思う。
もともと人の顔色伺うタイプなので、説明した人がちゃんと理解できてるのかとか表情から読み取れた。
配属された後、人間関係に悩んで心理学とかコミュニケーションの本を読み漁ってたことが活きたのかもしれない。
自分は人に教えるのが好きだし、得意なんだと気づいた。
ちょっと皮肉っぽくなるけど、新人の時の指導員がちゃんと教えてくれなったからこういう風になったんだと思う。
8年目 26歳 新人の指導員
職場から新人の指導員に任命された。
今まで他で仕事の経験がある人にはたくさん教えてきたきたけど、訓練校上がりでまだ社会経験のない新人に教えるのは初めてだった。
実際に教えてみてすごく難しいと感じた。
仕事に手を出すことにビビって全然やらないし、一度教えたことでも「そうなんですか?」とか平気で言う。
前も言っただろと思ってイラつくこともあったけど、高圧的な態度にならないようにかなり気をつけてた。
自分が圧を感じて萎縮しちゃってたから。
自分の指導員だった先輩が常に怒ってた理由がわかった。
どうやって教えるかずっと考えてた自分が苦労するんだから、それほど気にしてなければ困るのは当然。
でも私が指導した新人はガンガンと育っていった。
今まで中途採用で直接教えてた人からしか、わかりやすいと言ってもらえてなかったけど、新人の指導の成果を上司や職場が認めてくれた。
もちろん本人が優秀だったと言うのが一番だというのはわかってた。
でも自分が頑張ってきたことと、優秀な新人の指導員に当たったという幸運が噛み合って、おかげ様で職場内で私の評価が爆上がりした。
製造現場の作業員ということで、教育に関して注力している人がいなかったのが功を奏した。
これが自分のこの職場でのアイデンティティーになったと思う。
自分の中で本当の意味での自信につながった。
職場での発言権を得た。
9〜10年目 27〜28歳 後輩が慕ってくれるようになる
新人の指導員から外れてからも後輩の教育に力を入れた。
後輩が理解していなそうな部分を見つけては詳しく解説した。
ただの教えたがりだったんだけど、やる気に満ちた後輩たちからは「おかげでよくわかりました」と感謝してもらえる。
すると、どんどん慕ってくれる後輩が増えていくのが実感できた。
それなりに価値を提供できてたんだと思う。
後輩からプライベートで飲み誘われることが増えたり、後輩なので変な気を使うこともないので会社に行くのが楽しくなった。
でも仕事自体は退屈。
自分は目新しいことも無くなっていくし、自分がやらなくても後輩が率先してやってくれるようになった。
校長先生みたいに後ろで手を組んでフラフラしてる時間が増えた。
これは良くないなーと思いつつ状況に甘えていた。
11年目 29歳 2度目の担当変更
4年目に担当になって一年しかやらなかった部署に再度異動になった。
当時と変わらず仕事はすぐに思い出したけど、理屈の方はちんぷんかんぷん。
でも少し教えてもらったり、資料引っ張り出してきて自分で勉強したらすぐに理解できた。
以前読んだ時は全く内容が理解できなかったのでかなり自分の成長を感じられた。
会社を辞めようと思い立ったのはこの時。
30歳を前にして、どんな30代にしたいのか考えた時に本当に今の仕事を続けて後悔しないのか自問自答した。
どんどん職場の居心地が良くなっていたので、現状を捨てる勇気があるのかかなり迷った。
ちょうど新型コロナが日本に上陸したあたりで、生産量が激減して自宅待機で考える時間がたっぷりあったのが辞める決断を後押ししたと思う。
12年目 30歳 仕事で向上心がなくなる
決意したと言いつつも本当にいいのかとずっと迷いながら仕事してた。
でも月日を重ねるごとに少しずつ決意が固まって、それにつれて今の仕事で新しい知識を身につけようという気持ち、さらに自分の能力を高めようという気持ちは無くなっていった。
これなよくないと思ってた。
辞めると決めたらすぐに辞めるべきなんですよね。
でもこの時期は新型コロナのデルタ株が蔓延してて流石に今辞めるのはちょっとなって状況だった。
そんな時仕事が忙しくなって、精神的にかなりキツくなった。
仕事に対してやる気を出してない自分を責めてたし、そのせいで大したことないことで自分を責めた。
なんでもう辞める仕事でこんな思いをしなければいけないのか、なんでこんなこんなことで悩まなきゃいけないんだって。
死んだら楽になるのかな?とか考えるようこともあった。
もう何年も前からだけど、交代勤務の影響で睡眠が細切れで2時間おきくらいに目が覚めるようになってたし、ほっぺたの上の方がピクピク痙攣したり、頭皮がピリピリしてめちゃめちゃ痒くなったり、アゴの下に大量のニキビができた。
かなりストレスがあったんだと思う。
流石にこれはまずいかもと思って、生まれて初めて心療内科を受診した。
心療内科の先生に話聞いてもらったら楽になった。
誰にも話したことなかったことを色々話したら一気に気持ちが晴れた。
自分の中で色々溜め込んでしまってたんだと思う。
話すって大事なんだと思ったし、医者ってすごいなって思った。
13年目 31歳 退職
退職の意思を伝えてみんなに海外へ行くことを伝えた。
そんなのやめろと言われるかと思ったけど、誰からも反対されなかった。
今まで言えなかったことを話してめっちゃスッキリ。
みんな「考えて決めたことなら応援する」って言ってくれてめちゃめちゃ嬉しかった。
最後の出勤日には寂しくなるって言って目に涙を浮かべてくれる人なんかもいた。
自分ももっと寂しく思うかと思ったけど、最後の出勤日を終えた後の感想は圧倒的な解放感だった。
まとめ
結局、仕事内容について楽しいと感じたことはほぼありませんでした。
ただ、入社してしてしばらくは辛くって嫌で嫌で仕方なった会社だけど、こんな自分でも長く続けてるだけで仕事もだんだんできるようになってくる。
そうすると認めてくれる人もちらほら現れて、どんどん居心地よくなって、最近はホントに楽しくって、普通に会社のみんなに会いたいって思ってた。
いつの間にか自分にとっての居場所になってたんですね。
「石の上にも3年」っていうけど、僕の場合は7年目くらいから変わっていったような気がする。
入社して1~2年で仕事できなくて辞めたいって思ってるなら少し続けてみてもいいかもしれない。
力がついてくれば周りからの扱いが変わってくるのを実感する日が来るかも。
でも出勤の最後の日、自分が全く寂しい気持ちにならなかったので、やっぱり辞めたかったんだなって自覚しました。
寂しそうな顔をしてくれる人もいたけど、自分は未来に向けて歩み出す立場な訳で「そんな顔しないでくれよ」ってくらいの感覚。
配属当初の「なんか違う」って思った感覚は間違ってなかった。
この感覚を放置したのはよくなかったと思う。
もっと早く、勢いでやめてもなんとかなったであろうことは間違いない。
まぁ今の心境とは全く違うものになってただろうけど。
だから入社してすぐ「なんか違う」でやめていく若者がいても全然否定しない。
むしろ尊敬しますね。行動の速さと決断力に。
そう考えると結局いつ辞めてもよかったと思うし、もしこのまま会社に居続けてたら死ぬ時に後悔するかしれないと思ったけど、結婚して子供でもいればそれはそれで納得してると思う。
つまり、なんでもいい。
続けた人には続けた人の、辞めた人には辞めた人にかできない経験があるし、それによって考え方も変わってくるでしょう。
どんな人生でもその人にしか見えないものがあるんですよね。
だから今の現状は、自分がこれまでの経験から導き出した最善の決断の繰り返しでできたものなんです。
そう思ってこ生きていければ、きっと後悔のない人生が送れる。
コメント